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その後もコデン家は、当主イェス・エブゲンが[[南宋]]旧領に保持する所領にちなんで[[1324年]]に荊王の封号を与えられるなど、[[皇帝]]の一族として最高の待遇を受けている。しかしコデン家嫡流当主であるコデン・アカの座は[[トゴン・テムル]]治下の[[1343年]]までに不在となり、甘粛地方東部に遊牧するコデン家領民の統治権はハーン直属の機関である永昌等処宣慰使司都元帥府に置き換えられている。その後のコデン家の動向は不明である。
 
== 関連項目 ==
* [[モンゴルのポーランド侵攻]]
== 参考文献 ==
* 杉山正明「東西文献によるコデン王家の系譜」『モンゴル帝国と大元ウルス』京都大学学術出版会、2004年、457-489頁(初出『史窓』47号、1991年)。