「下間頼龍」の版間の差分

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[[本願寺]]の僧侶の中では、軍事よりも政治や文化方面に通じており、堺の商人たちとも茶会などから交流があったといわれている。[[織田信長]]側の[[細川昭元]]を攻めて戦功をあげている。本願寺が信長に降伏したとき、和睦条約に連署したといわれている。だが、翌年に[[教如]]が石山への再籠城の企てをしたとき、教如の側近だった頼竜は[[顕如]]から叱責を受けている。後に[[池田恒興]]の娘婿となる。
 
 
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