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'''大石 定仲'''(おおいし さだなか、? - [[天正]]18年(1590([[1590]]))は、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[武蔵国]]の[[武将]]。[[大石定久]]の子。播磨守。義兄に[[北条氏照]](姉の比佐の婿)がいる。室は[[松田康定]]の娘。子に[[大石直久]]。
 
== 経歴 ==
[[大石氏]]は代々[[関東管領]][[上杉氏]]重臣として武蔵守護代を任されていた。父の定久は、没落した上杉氏に代わり、[[永禄]]2年([[1559年]])、台頭してきた[[北条氏康]]の三男・[[北条氏照|氏照]]を娘・比佐の婿養子として迎え入れて[[滝山城]]と武蔵守護代の座を譲り、[[多摩郡]]五日市の[[戸倉城]]に[[隠居]]し[[後北条氏]]に臣従した。定仲は、父の没後に氏照が北条氏に復すると大石氏の家督を継ぎ、父の没後は氏照の旗下の滝山衆となった。そして、[[小田原の役]]を前にして没した。
 
[[Category:戦国武将|おおいしさたなか]]