「レディメイド」の版間の差分

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== 概要 ==
レディ・メイドという芸術上の概念は1915年、マルセル・デュシャンによって生み出された。当初の目的とは違った使われ方をされた既製品、つまり芸術作品として展示された既製品をさしている。
レディ・メイドがマルセル・デュシャンによって生み出された[[1913年]]当初、これは大量生産として作られた既製品へ美術的意味合いを見出そうとする試みであった。当初の目的とは違った使われ方、つまりアートとして展示された既製品は、アート「作品」として見出した作者とは別に「製品」として既製品を作った製作者がいる。それ以前の芸術は、龍の彫像を彫りその中に魂を入れる。つまりアート作品として作者が「制作」していく過程で「芸術的な意味合い」を込めていった。一方レディ・メイドは、完成している製品、いわゆる便器であるとか自転車の車輪であるとかに既に製作者によって込められている「機能的な意味合い」とは別に、芸術家が「芸術的な意味合い」を見出す。この見出された意味合いは、レディ・メイドではないものよりも、芸術家が製品を制作していないために、拠り所がなく、より概念的なものになる。また、レディ・メイド以前のアートの一般的な解釈は、アートは静止した彫刻や絵画を指す、または、静止した芸術の中に[[躍動感]]としての動きを表現しようとするものであった。つまり実際に動いているわけではなかったが、より概念的な芸術を認めることで、実際の動き、動かす事を含めて芸術と呼ぶようになったと解釈することもできる。
 
レディ・メイド以前、いわゆる芸術家は、職人的な手作業で制作していく過程を経てたった一点しかない、美学的に価値があるものを創造できると考えられていた。しかし、マルセル・デュシャンは、芸術作品に既製品を用いることにより、「芸術作品は手仕事によるもの」という固定観念を打ち破り、また「真作は一点限り」という概念をも否定した。これらによりデュシャンが主張したのは、あまりにも「テレピン油の中毒に犯された」網膜的な絵画の否定である。つまり、それは既製品へ美術的意味合いを見出そうとする試みではなく(彼曰く、よい趣味は悪い趣味と同等に有害である)、美術的に無関心な領域において選択される「観念としての芸術」という考え方である。芸術作品において重要なことは、それが美しいかどうかではなく、観る人の思考を促すかどうかであるということである。
 
このレディ・メイドにより、芸術作品と芸術家の関係には新しいものが生まれ、芸術作品の範疇は大きく広がっていく事となった、これにより、映画や漫画などのマスメディアを題材とした大衆芸術として[[ポップアート]]や廃物芸術として[[ジャンクアート]]、レディメイドの組み合わせ、寄せ集めによる芸術としてフランス語のensembleを語源とする[[アサンブラージュ]]( assemblage )等に大きく影響した。