「民社党」の版間の差分

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*新進党解党後は、大多数が[[新党友愛]]を経て[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]に参加、一部が自民党に移籍して現在に至る。2005年に結党した[[国民新党]]は、政策のみならず、政局の[[キャスティング・ボート]]を握るといった面から民社党のポジションに似ている部分もある。ただ、同党は自民党出身者がほとんどで、民社党の出身者は[[青山丘]]など少数である。
*民社党系の政治家の集まりとして[[民社協会]]が現存している。詳細は民社協会の項を参照。
*また、民社系議員などで組織する「創憲会議」は改憲を目指しているが、2005年[[2月14日]]に[http://www.k3.dion.ne.jp/~keporin/shiryou/souken/f-1.htm 「創憲」を考えるための提言書]を発表。[[加藤秀治郎]]、[[西修]]、[[百地章]]らの原案を元にしている。「国家あっての人権」であるとして[[自然権]]を否定し、[[表現の自由]]の法律による制限、[[国旗]]・[[国歌]]の明記、再軍備による積極的な国際貢献、改憲要件の緩和(国会で三分の二の賛成を得れば国民投票は不要とするなど)などを主張。さらに[[非核三原則]]の破棄や、[[核兵器|核]]・[[生物兵器|生物]]・[[化学兵器]]といった[[大量破壊兵器]]を保持する可能性についても含みを持たせた。[[10月28日]]、この提言に基づき、新憲法草案を発表した([http://www.k3.dion.ne.jp/~keporin/shiryou/souken/f-2.htm 創憲会議 新憲法草案])。
*民社党全国青年部は[[国際社会主義青年同盟]](IUSY)に加盟していたが、民社党の解党後は[[民社ユース|民社ゆーす2001]](後に「民社ユース」)と改称した。その後、[[2003年]]に解散し、IUSY加盟権のみを継承し民社ユースとは無関係という形で[[社会主義青年フォーラム]]が結成された。なお、社会主義青年フォーラムは、2005年7月から9月にかけて旧民社系の役員が辞任や脱退、旧新自由クラブ・進歩党系の役員に交代。その後、2006年1月のチリ大統領選に関する声明で、[[ミシェル・バチェレ]]の当選を歓迎し、民社党のピノチェト擁護が誤りであった旨を公式に示した。2008年3月の臨時総会をもって解散した。民社ユース末期から解散にかけて、構成員の大多数は民社人権会議に結集、以前から取り組んでいた北朝鮮による拉致問題をバックアップする運動に参加した。