「老官台文化」の版間の差分

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zh:老官台文化 2009年4月21日 (二) 12:47 より
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== 命名論争 ==
老官台遺跡はこの文化の類型遺跡の中で最初に発見されたものであったが、出土した文物は比較的少なかった。しかし[[甘粛省]][[秦安県]]の'''大地湾遺跡'''で大量の遺物が発見された後、この文化を「'''大地湾文化'''」(Dadiwan culture)と呼ぼうという動きが学者の間から出た。しかし大地湾遺跡からは複数の時代に文化の遺物が出土していることを理由に、ほぼこの文化の遺物のみが出土する[[西安市]][[臨潼区]]の白家村遺跡から「'''白家村文化'''」と命名しようという主張もあった。
 
命名論争は今日まで続いている。総合的に見れば、老官台文化は二つの段階があると考えることもできる。前期は大地湾遺跡一期を代表とし、約7300年前ごろに栄えた。後期は陝西省[[宝鶏市]]で出土した北首嶺遺跡下層を代表とし、約7300年から7000年前の間に栄えた。老官台文化の発見は、その後にこの地で生まれた彩陶などを特色とする新石器文化・[[仰韶文化]]の起源を探る意義を有する。
 
== 生活 ==