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{{大学 | 大学名=東京術大学
| ふりがな=とうきょうげいじゅつだいがく
| 英称='''Tokyo University of the Arts'''
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}}
== 大学名について ==
 
学校名について、文部科学省に届け出ている法的な正式名称は東京<strong>芸</strong>術大学である。この記事では法的な正式名称である東京芸術大学としているが、大学側では届け出以前から使用していた旧字体の<strong>藝</strong>も通称として使用している。
 
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== 概観 ==
 
実技系の科<ref>東京芸術大学美術学部規則[http://www.geidai.ac.jp/kisoku_koukai/pdf/p20080328_191.pdf]の第3条と、東京芸術大学音楽学部規則[http://www.geidai.ac.jp/kisoku_koukai/pdf/p20080328_204.pdf]の第4条に「学生の所属する科」という文言がある。なお、学科の名称に「学科」を含むのは芸術学科のみである。</ref>の試験にあっては実技検査を重視する。実技検査のほか、[[小論文]]や[[面接]]を課す科もある。科によっては、その受験者倍率は毎年数十倍に達する。
 
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== 沿革 ==
=== 略歴 ===
前身は官立の専門学校「[[東京美術学校]]」と「[[東京音楽学校]]」である。[[1949年]]5月、国立学校設置法(昭和24年法律第150号)の公布施行に伴い、「東京美術学校」と「東京音楽学校」が統合され、[[新制大学|新制]]「東京芸術大学」(東京藝術大学)として設立された。
 
[[2004年]][[4月1日]]に[[国立大学法人法]]の制定及び[[国立学校設置法]]の廃止により、これまで国の機関の一部であった大学は法人格を取得して「国立大学法人東京芸術大学」となり、同時に東京芸術大学を設置。
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[[1876年]](明治9年)、工部大学校付属「[[工部美術学校]]」が設立され、お雇い外国人によるヨーロッパ式の教育が行われたが1883年に廃止された。その後、[[1885年]](明治18年)に[[文部省]]の図画調査会において官立美術学校の設立が提案され、[[アーネスト・フェノロサ]]、[[岡倉天心]]、[[狩野芳崖]]等が中心となって「[[図画取調掛]]」が設立される。
 
その後[[1887年]](明治20年)[[10月4日]]{{DEFAULTSORT:}}に「東京美術学校」と改称、1889年2月に現在の上野校地(旧教育博物館跡)に移転し授業を開始した。当初は日本画、木彫、工芸の三科で、後に西洋画科、建築科などが設置された。「東京術大学」開学の2年後([[1952年]])に閉校。
 
==== 東京音楽学校 ====
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翌年以降、師範学校付属小学校生や幼稚園生への教育、音楽教員の育成を行い、音楽専門教育機関の役割を果たすようになった。その後数回の名称変更を経て、[[1887年]](明治20年)[[10月4日]]に「東京音楽学校」と改称される。1890年5月12日には新校舎(現在の旧東京音楽学校奏楽堂が含まれていた校舎)が現在の奏楽堂の位置に落成された。
 
また1893年に、一時[[東京高等師範学校]]の附属学校となったが1899年に独立。数回に渡る機構改革を経て「東京術大学」開学の2年後([[1952年]])に閉校。
 
=== 年表 ===
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*共通講座
**言語
 
=== 大学院 ===
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===キャンパス===
東京術大学には大きくわけて上野、取手、横浜、千住の四つのキャンパスが存在する。
 
==== 上野キャンパス ====
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=== 附属図書館 ===
附属図書館は、1949年5月、東京術大学が発足したときに、東京美術学校文庫と東京音楽学校図書課の蔵書を統合することで始まったものである。46万点の蔵書のうち8割近くは、芸術関係の資料である。同附属図書館は美術学部内に設けられている。
=== 東京藝術大学大学美術館 ===
[[東京藝術大学大学美術館]]は1996年に完成した。現在の収蔵品は2万8000件近くに達している。一階には学生食堂である大浦食堂が、地下には絵画材料を小規模に販売している「画翠芸大店」がある。尚、昭和6年3月に東京美術学校敷地内に開設した売店は現有限会社レモン(レモン画翠)の流れにある。
 
=== 美術学部附属 古美術研究施設 ===
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=== 芸術情報センター ===
学内共同利用施設としてセンターの芸術情報システムを整備運用し、研究、教育及び事務処理等の利用に供すると同時にキャンパスネットワークの適切かつ効率的な管理運用を行い、東京術大学における情報化を推進している。
 
=== アートリエゾンセンター ===
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=== 藝大アートプラザ ===
東京術大学が企画開発した作品や、同大学の教員等が創作した作品等の教育研究成果を、社会に対して積極的に発信するとともに、文化芸術を身近なものにして、心豊かな生活や活力ある社会の実現に寄与することを目的として2005年に設置された。
 
=== 保健管理センター ===
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=== 体育館 ===
主に保健体育科目の教育・研究及び同大本学の行事に利用するほか、学生の課外活動等に利用されてる。
東京術大学音楽学部附属音楽高等学校正門から道路をはさんだ向かい側から右に、約50メートルに位置する。
 
=== 那須高原研修施設 ===
同施設は東京術大学及び音楽学部附属音楽高等学校の学生・生徒及び教職員の教育・研修及び課外活動のために使用することを目的として設置されたものである。
 
=== 取手校地 利根川荘 ===
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この寮は同大学学生、同大学院生ののために昭和50年に竣工されたものである。なお、同大学音楽学部附属音楽高等学校生徒の入寮出来ない。
 
=== 大山岳部黒沢ヒュッテ ===
 
=== 小島アートプラザ ===
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== 学生生活 ==
=== 学園祭 ===
東京術大学では『藝術祭』、通称「'''藝祭'''」と呼ばれる学園祭が毎年9月に3日間にわたって催されている
(2008年度は9月5・6・7日)。上野公園内を練り歩く神輿が有名である。
 
=== サークル ===
東京術大学には文化、体育会系の2つのサークルの他、同好会も置かれている。
 
==== 文化系サークル ====
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=== オーケストラ ===
==== 東京藝大チェンバーオーケストラ ====
このオーケストラは2003年に創設され、東京術大学音楽学部と大学院に在籍する弦楽器の精鋭、25名が中心となって、様々な活動を行なう室内オーケストラである。
 
==== 藝大フィルハーモニア ====
東京術大学管弦楽研究部(藝大フィルハーモニア)は東京術大学に所属するプロフェッショナル・オーケストラであり、オーケストラ演奏を専門とする研究部員によって組織されている。主な活動としては毎年春と秋に開かれる定期演奏会、声楽家との合唱付オーケストラ作品の演奏、オペラ研究部との共演、年度始めの新卒業生(各科最優秀者)紹介演奏がある。その他、年末には恒例のメサイア演奏会、第九公演などを行っている。教育面では、器楽科、声楽科学生との協奏曲等の共演および作曲家学生の作品演奏(モーニングコンサート)、指揮科学生による演奏会、試験・演習など、学生の演奏経験の拡充に資している。さらに各地の音楽文化向上のための出張演奏も行っている。このオーケストラの前身である旧東京音楽学校管弦楽団は、わが国初めての本格的なオーケストラであり、現在ではポピュラーに演奏されている、ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」、第9番「合唱付き」チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」などを本邦初演し、日本の音楽界の礎石としての活動を果たしてきた。
 
== 大学関係者組織 ==
=== 同窓会 ===
東京術大学の同窓会は音楽学部と美術学部とで別々に分かれている。
 
;東京術大学美術学部 杜の会
東京術大学美術学部の同窓会で、昭和62年に「美術学部同窓会」として設立され、平成8年より「杜の会」と改められ現在に至る。
 
;東京術大学音楽学部 同声会
東京術大学音楽学部の同窓会で、明治22年に設立された。
 
=== 刊行物 ===
;藝大通信
:この刊行物は東京術大学の広報誌であり、年に2回、9月と3月頃発行される。 
 
== 大学関係者一覧 ==
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== 附属学校 ==
==== 東京術大学音楽学部附属音楽高等学校 ====
{{main|東京術大学音楽学部附属音楽高等学校}}
優秀な音楽家を育成するための早期教育を目的として1954年、神田駿河台に創立された。