「穆皇后呉氏」の版間の差分

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'''穆皇后呉氏'''(ぼくこうごう ご し、? - [[245年]])は[[劉備]]の皇后。父は呉夙。母は不明。[[呉懿]]の妹。陳留郡の人。
 
== 生涯 ==
幼いころに父を失い、亡父と旧交のあった[[劉焉]]の入蜀の際に母と妹、族弟の[[呉班]]一家と共に蜀に移住した。その間もないころ、人相見が呉氏を見て、大変な高貴の身分に昇ると言った。それを聞いて、かねてから野望をいだいていた劉焉は自分の3男、[[劉瑁]]の妻に迎えた。しかし、彼が若死にしたために未亡人となってしまった。
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[[221年]]、劉備が皇帝に即位すると皇后となり、[[223年]]、劉備が死去し[[劉禅]]が即位すると、皇太后となった。
 
[[234年]]、正月に車騎将軍[[劉琰]]の妻、胡氏が呉氏に年賀のため参内した。呉氏は胡氏を1か月宮中に留め置くよう命じた後、退出させたのだが劉琰胡氏が劉禅と私通浮気をしたと思い、劉琰は胡氏に対し暴行を加え離縁した。胡氏はこのことを訴えで、劉琰は公開処刑された。
 
[[245年]]、死去し劉備と恵陵に合葬された。