「中村歌右衛門 (3代目)」の版間の差分

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当り役
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文政八年 (1825) に一度引退興行を行なうが、すぐに舞台復帰する。評判記には文政十年 (1827)「無類」、天保三年 (1832) には「古今無類総芸頭」を受ける。
 
しかしこの頃から病気がちになり、門下の[[中村歌右衛門 (4代目)|二代目中村芝翫]]に歌右衛門を名を譲って、自らは[[中村玉助]]を名乗った。
 
当り役は『[[一谷嫩軍記]]』の[[熊谷直実]]、『[[義経千本桜]]』の狐忠信、『[[仮名手本忠臣蔵|忠臣蔵]]』の定九郎、『[[楼門五三桐]]』の[[石川五右衛門]]、『[[隅田川続俤]]』の法界坊、『[[五大力恋緘]]』の弥助など。