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{{Otheruses|音楽の「ダブ」}}{{独自研究}}
'''ダブ'''(dub)は
==概要==
ダブは(レゲエ)楽曲の[[リズム]]をより強調する様に[[ミキシング]]し、[[エコー (音響機器)|エコー]]や[[リバーブ (音響機器)|リバーブ]]などの過剰な[[エフェクト]]を施し加工することに全く別の作品に作り変えてしまうことである<ref name="makino">牧野直也『レゲエ入門』音楽之友社、2005年、160 - 179ページ。 ISBN:978-4276352063</ref>。[[リミックス]]の元祖とも言われる。
[[1968年]]頃、[[ジャマイカ]]の音楽エンジニア[[キング・タビー]]が[[サウンド・システム]]用の[[ボーカル]]抜きのトラック([[リディム|ヴァージョン]])を製作する過程で偶然発明したとされる<ref name="makino"/>。しかし、[[リー・ペリー]]または、[[エロール・トンプソン]]がダブの発明者であるという説もある。
ダブは
1980年代の[[イギリス]]では[[マッド・プロフェッサー]]、[[ジャー・シャカ]]らがデジタル機材を駆使したダブサウンドを創作し、'''ニュールーツ'''と呼ばれるレゲエのサブジャンルを作り上げた。[[エイドリアン・シャーウッド]]はダブに[[パンク・ロック]]や[[ニュー・ウェイヴ (音楽)|ニュー・ウェイヴ]]の要素を取り入れた。1984年、[[リントン・クウェシ・ジョンソン]]は[[デニス・ボーヴェル]]の制作したダブに乗せ自作の詩を朗読したアルバム『Dread, beat an' Blood』を発表し、'''ダブ・ポエトリー'''というジャンルの第一人者となった。
==ダブバンド==▼
本来はスタジオでの作業であったダブをライブで生演奏するようになったのは1980年代前半のイギリスと日本においてである。イギリスでは[[アスワド]]や[[マトゥンビ]]が、日本では[[ミュート・ビート]]等がほぼ同時期にダブバンドとして活躍した。現在でもこの分野の中心となっているのは日本の[[DRY&HEAVY]](ドライ・アンド・ヘヴィ)等ジャマイカ以外のアーティストである。▼
▲===ダブバンド===
▲本来はスタジオでの作業であったダブをライブで生演奏するようになったのは1980年代前半のイギリスと日本においてである。イギリスでは[[アスワド]]や[[マトゥンビ]]が、日本では[[ミュート・ビート]](宮崎泉)等がほぼ同時期に生演奏にダブ
===他ジャンルへの影響===
手法としてのダブはその後[[テクノ (ダンスミュージック)|テクノ]]、[[ジャングル (音楽)|ジャングル]]、[[ヒップホップ]]、[[ハウス]]など様々な[[ダンスミュージック]]に取り入れられていった。また、その過程において[[エレクトロニカ]]と[[クロスオーバー (音楽)|クロスオーバー]]した'''ダブトロニカ'''や、[[環境音楽]]と混交した'''アンビエント・ダブ'''、[[2ステップ]]と混交した'''ダブ・ステップ'''などの新たなジャンルが派生した。
また、[[ザ・クラッシュ]]が1980年のアルバム『[[サンディニスタ!]]』を[[マイキー・ドレッド]]と共同制作するなど、ダブは次第にパンク・ロックや[[ロック (音楽)|ロック]]の分野でも取り入れられていった。[[2007年]]、[[菊地成孔]]はダブ・エンジニアを加えた[[ジャズバンド]]、Naruyoshi Kikuchi Dub Sextetを結成した。
{{main|ダブプレート}}
==関連項目==
*[[オーバーダビング]]
*[[コラージュ]]
*[[ダブプレート]]
*[[リディム]]
*[[リミックス]]
==脚注==
<references/>
▲==ダブ・プレート==
==外部リンク ==
* [http://www.dubechoes.com Dub Echoes]
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