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'''龍 粛'''(りょう すすむ、[[1890年]][[4月29日]]-[[1964年]][[2月25日]])は、[[大正]]・[[昭和]]期の[[歴史学者]]。専攻は中世史。[[萩野由之]]は舅にあたる
 
[[静岡県]][[敷知郡]]浜松町元城(現在の[[浜松市]][[中区 (浜松市)|中区]]元城町)出身。7歳のときに東京に移り住み、東京高等師範学校附属中学校、第一高等学校予科一部を経て東京帝国大学文科大学史学科に入学、[[1915年]]に卒業して同大学院に進む。翌[[1916年]]、東京帝国大学史料編纂掛補助となり、[[1922年]]に同史料編纂官となり、『[[大日本史料]]』第五編担当となる。この間の[[1929年]]に史料編纂掛は史料編纂室と改称されている。[[1938年]]に[[辻善之助]]の後任として史料編纂所長となる。また、『[[帝室制度史]]』編纂にも参加した。だが、戦時下の物資不足と[[国粋主義者]]による圧迫に悩まされながら戦時下においても『大日本史料』・『[[大日本古文書]]』の編纂作業を続けた。[[戦後]]の[[1950年]]、史料編纂所が[[東京大学史料編纂所]]に改編された際に、所長を兼務したまま[[東京大学]]教授となる(文学部史学科と史料編纂室の分離に伴う措置)。[[1951年]]に東京大学を定年退官すると、[[日本大学]]に移る。[[1959年]]には論文「後嵯峨院の素意と関東申次」により日本大学から[[文学博士]]を授与された。
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[[Category:1964年没]]
[[Category:日本の歴史学者]]
[[Category:静岡県出身の人物]]