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Sea of Japan (会話 | 投稿記録)
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その前身は[[1871年]]([[明治]] 4)[[兵部省]]内に設置された海軍提督府である。[[1875年]]日本周辺を東西の2海面に分け、東西両指揮官の指揮下に置くことになり、[[1876年]]東海、西海の両鎮守府を設置することになった。
 
東海鎮守府はまず[[横浜市|横浜]]に仮設され(西海鎮守府は開設されず)、[[1884年]]には[[横須賀市|横須賀]]に移転され、横須賀鎮守府と改称された。[[1886年]][[海軍条例]]の制定により、日本の沿岸、[[海面]]を5海軍区に分け、各海軍区に鎮守府と[[軍港]]が設置されることになった。横須賀のほかに、[[1889年]]には[[呉市|呉]]と[[佐世保市|佐世保]]に、[[1901年]]に[[舞鶴市|舞鶴]]に鎮守府([[舞鶴鎮守府]])が開庁した。しかし、当初予定されていた[[室蘭市|室蘭]]への設置は[[1903年]]に取止めとなった。[[1905年]]には[[旅順|旅順口鎮守府]]が設置された([[1906年]]旅順鎮守府と改称、1914 年廃止)。また舞鶴は1923年には[[ワシントン軍縮条約]]のあおりで一時廃止(要港部への格下げ)されたが、[[1939年]]に復活した。
 
各鎮守府は、所轄海軍区の防備、所属艦船の統率・補給・出動準備、兵員の徴募・訓練、施政の運営・監督にあたった。