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'''佐々木 竹見'''(ささき たけみ、男性、[[1941年]][[11月3日]] - )はかつて[[川崎競馬場]]に所属していた元[[騎手]]。現NAR在は[[地方競馬全国協会]]参与。[[青森県]]出身。
 
[[画像ファイル:Sasaki Takemi.jpg|thumb|佐々木竹見騎手最終騎乗]]
 
== 来歴 ==
青森県[[上北郡]]出身。友人たちと歩いていたところを、たまたま出会った日本画家の[[上泉華陽]]に見出され、[[中学校]]を卒業すると同時に川崎競馬場の青野四郎厩舎に入門。
 
騎手養成所を経て、[[1960年]]6月に騎手としてデビュー(6頭立て6着)。同年7月に初勝利を挙げる(騎乗馬サチトップ)。
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また、1965年から1967年で史上初の'''3年連続400勝突破'''を達成する。
 
[[2000年]]11月に現役引退を表明、その後引退に際して『佐々木竹見騎手ラストランシリーズ』と銘打って全国各地の競馬場でレース騎乗することを発表。[[2001年]][[7月8日]]の川崎競馬最終レース、佐々木竹見引退記念・ラストラン賞をもって現役引退。最終レースでは圧倒的1番人気に推されたものの6着に敗れ、さらに勝った[[山野勝也]]騎乗のグローバルファイタが単勝万馬券となる人気薄だったこともあって、このレースの馬番連勝単式馬券の払戻金額は当時の日本競馬史上2位となる813,300円という大波乱を記録した。
 
現役引退後は[[栃木県]]にある[[地方競馬教養センター]]の参与となり騎手養成コースの講師として活躍している。また引退後にもオーストラリア・[[フレミントン競馬場]]での国際ジョッキーOB戦「レジェンドレース」に、[[2002年]][[2004年]]の2度招待されている。また、[[2008年]]にJRAで行われる第2回[[ジョッキーマスターズ]]に参戦している。
 
川崎競馬場では現役時代の功績を讃えて「[[佐々木竹見カップ・ジョッキーズグランプリ]]」という表題の特別レース競走が開催されている。
 
なお、地方競馬教養センター参与という役職は、地方競馬の統括団体である[[地方競馬全国協会]]の関係者の立場に該当する。このため、地方競馬では競馬中継番組のゲストとしてテレビ出演し、レースについてのコメントやレース後の解説をすることはあっても、レースについて具体的な買い目などの[[予想 (競馬)|予想]]を行うことい。
 
== 表彰歴 ==