「日大ギャング事件」の版間の差分

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'''日大ギャング事件'''(にちだいギャングじけん)は、[[1950年]]に[[日本大学]]の運転手が職員の給料を強奪した事件。「'''オー・ミステーク事件'''」とも。犯人及び一緒に逃走した人が未成年であったことから関心を集め、戦後の若者の風俗を象徴するものとして「[[アプレゲール]]犯罪」とも言わに位置づけられた。
 
==経緯==
[[1950年]](昭和25年)[[9月22日]]、[[東京都]][[千代田区]]で[[日本大学]]の職員が給料191万円を輸送途中、同じく日大に勤めていた運転手の少年(当時19歳)に襲撃された。少年は職員をナイフで切りつけて金を奪い、日大教授の娘である恋人(当時18歳)と逃走した。
 
[[1950年]](昭和25年)[[9月22日]]、[[東京都]][[千代田区]]で[[日本大学]]の職員が給料191万円を輸送途中、同じく日大に勤めていた運転手の少年(当時19歳)に襲撃された。少年は職員をナイフで切りつけて金を奪い、日大教授の娘である恋人(当時18歳)と逃走した。
 
[[9月24日]]に潜伏先の[[品川区]]で逮捕される。逮捕の際少年は恋人に向かい「オー・ミステーク」と叫んだ。これによりこの事件は別名「オー・ミステーク事件」とも呼ばれる。
 
犯人は奪った金で舶来の高級バッや腕時計を買い漁っていた。大卒初任給4千円の時代にわずか3日間で30万円もの買い物をしていた。
 
少年は懲役4~74-7年の不定期刑、恋人は強盗傷害[[幇助]]罪で懲役2年執行猶予3年の判決を受けた。
 
==社会の反応==
当時は若者の反社会的行動が注目されており、この事件はそうした傾向を象徴するものとして「[[アプレゲール]]犯罪」と呼ばに位置づけられた。また「オー・ミステーク」は[[流行語]]となった。
 
いくつかの新聞は少年および恋人の実名・顔写真を掲載したが、触法行為をした未成年の[[実名報道]]を禁止した[[少年法]]第61条に反するとして[[最高裁判所事務総長]]名で[[日本新聞協会]]に警告が出された。
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[[Category:占領下の犯罪]]
[[Category:日本の少年犯罪]]