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戦後は藤原歌劇団を中心に主に歌劇の演出に携わり、殊に『蝶々夫人』の解釈と演出にあたっては高い評価を受けた。 1954年に帝劇で行われた喜劇『蝶々さん』(主演:田中 路子)や日伊合作映画『蝶々夫人』(日本公開1955年 主演:八千草 薫)の演出にも深く関わっており、1958年にはニューヨークのメトロポリタン歌劇場での『蝶々夫人』を演出し高い国際的評価を得た。このときのキャストは、指揮:ディミトリ・ミトロポーロス、蝶々夫人:アントニエッタ・ステラ、ピンカートン:ユージェニオ・フェルナンディ等。
 
青山はこの後もメトロポリタンの演出を手がけ、1973年に東京文化会館で行われた東 敦子主演の『喋々夫人』の演出にあたり、「リアリズムの追及は、ファンタジーの追放ではなかろうか、これからはこのオペラに現実の生活に即したFANTASYを発見したい」といった趣旨の言葉を残し、1976年に港区で身寄りのないまま亡くなった。享年75歳。
 
なお、舞踏家としては橘流の名取であり、橘 佐山を名乗っていた。