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通常の読み方では「おうひ」ではなく「おうほん」
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'''王賁'''(おうほん<ref>『[[史記]]』白起王翦列伝注『史記索陰』によれば「賁音奔」とあり、賁は「ほん」と読む。</ref>、生没年不詳)は頻陽東郷(現在の[[陝西省]][[富平県]]東北部)の人。[[秦]]の名将と謳われた[[王翦]]の子である。
 
[[紀元前225年|前225年]]、王賁は[[黄河]]の水を[[魏 (戦国)|魏]]の都城である[[開封市|大梁]]に引き包囲し、魏王[[魏假]]を投降させ滅亡させる。[[紀元前223年|前223年]]には[[遼東半島|遼東]]方面に進撃し、[[燕王喜]]を捕らえ[[燕 (春秋)|燕]]を滅亡させた。更に[[紀元前221年|前221年]]には[[斉]]を攻撃、都城の[[臨シ区|臨淄]]を包囲すると、斉王[[田建]]を降伏させ、ここに斉も滅亡させた。
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秦の中国統一事業に大きな功績を残し、それにより後に'''通武侯'''に封じられている。
 
なお、『[[新唐書]]』宰相世系表二中によれば、王賁の[[字]]は典であり、秦将[[王離]]の父で、子孫がいわゆる[[琅邪王氏]]、[[太原王氏]]になったとされている。
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==脚注==
<references />
 
==参考文献==
*司馬遷『史記』巻6秦始皇本紀、巻73白起王翦列伝
 
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[[Category:春秋戦国時代の人物]]
[[Category:秦代の人物]]