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永禄9年(1566年)、千村家政の子として生まれる。はじめ[[木曾義昌]]、その没後は[[木曾義利]]に仕えたが、義利が不行跡により[[改易]]されると浪人し、後[[徳川家康]]に同心する。[[慶長]]5年([[1600年]])の[[関ヶ原の戦い]]では東軍に属し、かつて[[木曾氏]]に仕えていたことから詳しかった[[中山道]]の先導役を務め、[[美濃国|恵那]][[岩村城]]攻めで武功を挙げた。この功績により、戦後に[[美濃国|美濃]]久々利に所領を与えられ、信州・遠州榑木奉行に任じられた。
 
[[大坂の陣]]では徳川方に属し、妻籠の関所や[[信濃国|信濃]][[飯田城]]の守備を務めた。[[元和 (日本)|元和]]5年([[1619年]])、[[徳川秀忠]]の命令で幕府直臣(表[[寄合]]並)・信州・遠州榑木奉行のまま[[尾張徳川家]]の[[徳川義直]]附属となった。寛永7年(1630年)9月12日に死去。[[享年]]65。
 
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