「アンドリュー・テーラー・スティル」の版間の差分

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彼は自身の研究や臨床的な観察により、彼は筋肉や骨格の仕組みが、健康や疾病に重大な役割を果たすと考え、もしそれら筋肉や骨格に適切な刺激を与えることが出来るならば、健康を維持することが出来るに違いないとした。また、今もなおオステオパシーの手技として知られているやり方で治療行為を行うことにより、身体の構造中の問題を修正することによって、身体は適切に機能し、かつ自己治癒力が改善されるかもしれないと信じた。さらに、彼は、予防医学についての考えを押し進め、医師は病だけではなく、患者の全体としての治療に注目すべきとの考えを支持した。
 
これらの確信は、新しい医学的アプローチを形成し、オステオパシーの基礎となった。この思想に基づき、スティルは、オステパシーの最初の学校となる最初の学校''American School of Osteopathy''(アメリカン・スクール・オブ・オステオパシー(現在の[[w:en:A. T. Still University|A. T. Still University]])をミズーリ州のカークスビルに設立した。
 
[[Category:バージニア州の人物|すているあんとりゆう]]