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== 日本における野外病院 ==
 
日本陸軍においては、一個師団に3~4個の野戦病院が付属していた。野戦病院長は軍医中佐か軍医少佐があてられた。(ときには軍医大尉)
野戦病院の限界収容人数は百名程度であった。収容部・治療部・後送部に分かれ、軍医・歯科医将校・薬剤将校・看護将校以下五十名程度で編成された。
 
しかし病院独自の移動手段や兵站組織を持たないために、患者収容のための野戦天幕や炊事設備を設置することも困難であった。
 
 
さらに第一線の戦力のみを重視したために、野戦病院のために必要な資材の運搬は無視されることも多く、ガダルカナルやインパール戦記で詳述されているように、食事も薬も無く、野外の泥の中に患者を放置するといった、酸鼻を極めるような状況を見ることも多かった。
 
ちなみに陸軍看護婦や日赤[[従軍看護婦]]は、野戦病院には配置されないため、(看護婦の配置は兵站病院以上の大規模な後方病院に限られる。)患者の看護はすべて衛生兵が担当した。
 
 
 
 
日本では陸上自衛隊(衛生科部隊)のほか、大都市の消防本部も救護所となる[[日本の救急車#東京消防庁の特殊救急車(スーパーアンビュランスなど)|特殊救急車]]を配備している。また、災害現場で活動する医療チーム([[災害派遣医療チーム|DMAT]])の配備も始まっている。