「将作大匠」の版間の差分

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前漢においては官秩は二千石で、丞(副官)2名と左右中候がおり、属官には石庫、東園主章、左右前後中校の七令、丞と主章長、丞があった。
 
[[景帝 (漢)|景帝]]の中6年に将作少府から将作大匠に改称した。[[武帝 (漢)|武帝]][[太初 (漢)|太初]]元年に東園主章を木工と改称した。[[成帝 (漢)|成帝]][[陽朔]]3年には中候と左右前後中校の5丞を廃止した。
 
[[後漢]]においては[[光武帝]]の[[建武中元]]2年に一旦廃止されて謁者が領することとされたが、[[章帝]]の[[建初]]元年に復活した。官秩二千石で、丞1名と左校令、右校令が属した。