「慈聖光献曹皇后」の版間の差分

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[[神宗 (宋)|神宗]]が即位すると、曹氏を尊んで太皇太后とし、その住まいを慶寿宮と命名した。神宗はすこぶる孝行心が厚く、曹后を迎えるときはあらゆるもてなしを行い、彼女に同行するときは常に先払いして歩くほどであった。曹后もまた、朝夕に屏風の陰から皇帝に挨拶し、自ら膳を運ばせて親しく会食することもあった。曹皇后が水疾を患い危篤に陥ると、神宗は寝食も忘れて付き添ったという。
 
[[元豊 (宋)|元豊]]2年(1079年)冬、曹皇后は崩御し、永昭陵に葬られた。
 
神宗の治世は、[[王安石]]が新法による改革を実行した時期に当たる。曹后は改革に対し、性急に法を改めるべきではないと考えており、そのように神宗へ意見したという記事が『[[宋書]]』に見える。