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[[1965年]]、東宝の特撮企画に対抗して、東京撮影所で『[[大怪獣ガメラ]]』を製作、大ヒットとなり、大映の特撮技術を内外に知らしめ、[[倒産]]まで[[ドル箱]]の人気シリーズとなった。子供を中心とした観客層は倒産まで安定した動員数を稼ぎ、末期の大映を支える柱のひとつとなった。
 
[[1966年]]、この年初頭に永田社長は「日本映画は必ず復興する」との一文をマスコミに向け発表。
 
同年、東京撮影所制作の『[[大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン]]』と、京都撮影所制作の『[[大魔神]]』の2本立て興行を行う。特撮作品の自社2本立て興行は、[[円谷英二]]一人が特撮を任じていた[[東宝]]にも実現できなかった前代未聞の快挙として大いに話題となり、「大魔神」は現在にも残る人気キャラクターとなった。
 
[[1967年]]、勝新太郎が[[石原プロ]]・[[三船プロ]]などのスターによる製作プロダクションブームに刺激され勝プロを設立。一方、大映は映画製作の赤字などによる巨額の負債が表面化。