「シャトー・ムートン・ロートシルト」の版間の差分

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[[Image:Château Mouton Rothschild x.jpg|thumb|シャトー・ムートン・ロートシルト]]
'''シャトー・モートン・ロートシルト'''(fr:Château mouton rothschild)とは、[[フランス]]の有名な[[ワイナリー|シャトー]]。[[ボルドー]]から北西50㎞50km、[[メドック]]の[[ポーイヤック]]にある。「ロートシルト」は「[[ロスチャイルド家|ロスチャイルド]]」の[[ドイツ語]]読み、フランス語読みは「ロッチルド」。
 
== 赤ワイン「シャトー・ムートン・ロートシルト」 ==
同名の赤ワイン、シャトー・ムートン・ロートシルトは、世界でもっとも偉大な[[ボルドーワイン|クラレット]]の1つに数えられる。もともとはシャトー・ブラン・ムートン<!--Braneのフランス語読みは?-->という名で知られていたが、1853年、シャトーを購入したナタニエル・ド・ロッチルド<!--Nathanielのフランス語読みは?-->により、シャトー・ムートン・ロートシルトと改名された。収穫と瓶詰めをともに自ら行ったシャトーは、シャトー・ムートン・ロートシルトが初めてである。
 
[[1855年]]の[[ボルドーワインの格付け]]は、ブドウ園のワインの当時の市価に基づいて決められていたが、シャトー・ムートン・ロートシルトはただ1つの例外となった。ムートンの市価は[[シャトー・ラフィット・ロートシルト]]と似通っていたにもかかわらず、第1級格付けからムートンは除外されたのである。当時のシャトー所有者のフィリップ・ド・ロートシルト[[男爵]]は、これを「恐ろしい不正」と評した。一般には、格付けの直前にシャトーがイギリス人に買われ、もはやフランス人の所有ではなくなっていたからだと信じられている。
 
シャトーの有力かつ強力な所有者による長年の[[ロビー活動]]の結果、[[1973年]]、ムートンは第1級に格付けを昇格された。これは1855年の格付けを変更させた唯一の例である([[1856年]]の[[シャトー・カントメルル]]の追加を除く)。これにより、[[ラベル]]の[[標語]]も変わった。
それまでワインのラベルには{{quotation|第1級たり得ず、第2級を肯んぜず、そはムートンなり
( Premier ne puis, second ne daigne, Mouton suis. )}}とあったが、以後
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[[1977年]]には、[[イギリス]]の[[エリザベス2世 (イギリス女王)|エリザベス2世]]と[[エリザベス・バウエス=ライオン|クイーン・マザー]]がシャトーを訪れ、訪問を記念する特別ラベルがデザインされた。
 
ムートンの特別ラベルの歴史上、一年の間にラベルを2種類使用したことが使われたことが2度ある。1度目は[[1978年]]、[[モントリオール]]の芸術家[[ジャン=ポール・リオペル]]が2種類のデザイン画を提出したときである。この時、フィリップ・ド・ロッチルト男爵は絵を両方とも気に入ったため、その年の収穫を2つに分けて両方のデザインを使用した。
 
[[1993年]]のムートンのラベルは、フランスの画家[[バルテュス]]の[[デッサン]]で、横たわる裸の[[ニュンペー|ニンフ]]が描かれていた。しかしこのラベルは、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[アルコール・タバコ・火器及び爆発物取締局|ATF]]に使用を拒否された{{Fact|date=2008年1月}}。そのためアメリカ市場に向けてのラベルのみデッサン画が描かれるべき部分が白く残されることになり、コレクターは両方の種類を追い求めることになった。
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==ブドウ園==
シャトー・ムートン・ロートシルトの[[ブドウ]]園は、[[ボルドー]]・[[ジロンド川]]に至る斜面にあり、おもに[[カベルネ・ソーヴィニヨン]]種のブドウを産する。今日、シャトー・ムートン・ロートシルトの203エーカー(0.8 km²&sup2;)に及ぶブドウ畑は、[[カベルネ・ソーヴィニヨン]]種 (77%)、[[メルロー]]種 (11%)、[[カベルネ・フラン]]種 (10%)、[[ワイン用ブドウ品種の一覧#プチ・ヴェルド|プチ・ヴェルド]]種 (2%)から成り立っている。ワインは、[[オーク]]の大タンク(メドックには、このタンクを使用するシャトーはあまり残っていない)で[[発酵]]させてから、オークの新しい樽に移して[[熟成]]させる。
 
==商況==