「契約神学」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
1行目:
{{キリスト教}}
'''契約神学'''(けいやくしんがく、英:{{lang|en|Covenant Theology}}, {{lang|en|Covenantalism}}, {{lang|en|Federal theology}}, {{lang|en|Federalism}})は聖書の記述全体を神学概念のひとつである「契約」 ({{lang|en|covenant}}) の概念によって把握し、説明しようとするキリスト教神学の立場である<ref>[http://gospelpedlar.com/articles/Bible/cov_theo.html J. I. Packer, ON COVENANT THEOLOGY]</ref>。主に、長老派や改革派の教会で提唱されてきた神学である。[[ディスペンセーション主義]]の見解とは対極の神学である。
 
== 神学 ==
 
=== 行いの契約の種類 ===
*アブラハム契約
:神がブラハムを選んで、アブラハムとその子孫と結んだ契約
*シナイ契約
神と神の民イスラエルとの会い抱き結ばれた契約。
*ダビデ契約
神とダビデと間に結ばれた契約、ダビデ王朝の永続を約束された。
*新しい契約
イスラエルと神との契約は、イスラエルの背信により、損なわれた。預言者[[エレミヤ]]はやがて与えられる新しい契約を、シナイ契約と対比している。
*新約聖書の契約
:イエスキリストにおいて成就した。主の聖餐における、表現は契約締結時のモーセの言葉を踏まえている。イエス・キリストの十字架は、シナイ契約のように神の民を作り出す契約を成就した。
:パウロも、古い契約に対する、新しい契約の卓越性を強調した。
 
===(1) 恵み行いの契約 ===
神は最初の人アダムを代表者として人類と「行いの契約」を結ばれた。エデンのそのにおけるアダムは安定した永遠のいのちを持っていたのでなく、善行によって永遠のいのちを獲得すべき者とされていた。
 
==== *神の義務(約束) ====
:アダムが神への服従を一定期間全うした場合、永遠のいのちを彼に与えること。
 
==== *人への義務 ====
:神への服従を全うすること。
 
==== *契約のしるし ====
:善悪の知識の木の実。これを食べることは、契約への不服従を端的に著すものであった。
 
====* 契約違反への刑罰 ====
:刑罰は死である。本来、創造者なる神は、人へのいかなる義務をも負ってないが、へりくだって人との契約関係に入れられ、このような義務を負わされたのである。
 
==== (2)贖いの契約 ====
堕落した人を救うために、父と御子の間に立てられた契約を、贖いの契約という。この契約において、御子は、選びの民の、代表者になられて、アダムが失敗した「行いの契約」を全うされる。
 
*御子の義務
=== 恵みの契約 ===
:選びの民を代表者として、アダムの罪の責任を担い、わざの契約の刑罰である死(十字架)を引き受けること。わざの契約における永遠のいのちの条件である完全な服従を成し遂げること。
 
*父の義務
:贖いのわざを全うした御子を万物の支配者とし、御子の体なる教会の頭とすること。この体なる教会に選びの民を加え、聖霊によって彼らがキリストを信じ、キリストに結びついた救いの完成にあずかるものとなるようにすること。
 
=== (3)恵みの契約 ===
神は父と御子との間に立てられた贖いの契約を土台として、選びの民を救うために恵みの契約を結ばれる。
 
*神の義務
:いのちと救いを選びの民に与えること。
 
*人の義務
信仰によって恵みの契約の約束を受けること。新しいいのちを受けて、神に服従する生活をすること。ただし、この義務は、贖いの契約に基づいて、キリストが人に賜る恵みに達成される。
 
*契約の仲保者
:以上の恵みの契約は、罪びとを救う唯一の契約であって、この契約の外に救いはない。罪人を救い得る名は、イエス・キリストを別にしては誰にも与えられていないからである。旧約時代の人々も新約時代の人々も同一の恵みの契約により、イエス・キリストの贖いのみわざに基づき救われる。イエス・キリストは旧約時代終了後に、受肉されて十字架にかかり、旧約時代の選びの民の罪も十字架で、贖われた。旧約の時代の、恵みの契約は、約束、預言、いけにえ、割礼、などの形によってなされた。それらは、イエス・キリストを指し示すもので、これらに信仰をもって応答する者を起こし、彼らをイエス・キリストに結び付けて、救いの恵みを与えるものある。
 
== 参考文献 ==
*中山雄一郎「契約神学」『新キリスト教事典』[[いのちのことば社]]、1991年
 
==脚注==