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父は[[後漢]]末の動乱期に漢中の[[張魯]]に仕えた人物である。張魯が曹操に降伏すると、李休も列侯された。
若いころに都に遊学し、風雅で才智があると評判
滎陽太守、[[河南]]尹を歴任していずれも治績を挙げた。河南尹としての仕事ぶりは、前任者の[[劉靖]]が法に厳格であったのに対し、法を緩めることにより、一時的に名声を得た、と評されている。河南尹の職にあって一年後に、凶兆が勃発、まもなく[[荊州]][[刺史]]に任命される。『魏末伝』によると、曹爽に荊州刺史へ就任の報告を兼ねて隠棲した司馬懿の様子を探りに行くよう命じられ
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