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Knua (会話 | 投稿記録)
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[[1897年]]に北海道国有未開地処分法が制定され、[[本州]]等より北海道へ移住してくる人々が急増、その中にファーム富田の創始者である富田徳馬もいた。富田徳馬はその後[[1903年]]に現在の北海道中富良野町に開墾の鍬を下ろし、その苗字がファームの由来となる。
 
徳馬の長男、富田忠雄は[[1953年]]、当時富良野一帯においてラベンダー栽培の先駆的人物であった上田美一のラベンダー畑に出会い、[[1958年]]より香料用としてのラベンダー栽培を開始。妻と共に開始した畑は10[[アール]]の広さにまで及んだ。その後ラベンダー畑はおよそ1.2ヘクタールにまで拡大、富良野地方全体でもラベンダーの栽培地域が230ヘクタール以上に拡大したが、以降は急激に衰退。ピーク時にはラベンダー栽培農家が250戸以上・全道のラベンダーオイル生産量も5トンに上っていたが、[[1972年]]頃より貿易の自由化が始まって価格の低い香料が広まり、合成香料の技術が進み始めると、製造していたラベンダーオイルの買い上げの価格も急落。翌1973年には近隣一帯のラベンダー栽培農家がほぼファーム富田のみとなってしまった。
 
 1976年5月の[[日本国有鉄道]]のカレンダーにファーム富田のラベンダー写真が紹介されると、徐々に観光客やカメラマンが訪れるようになった。また、その後にドラマ「[[北の国から]]」で放送されると、観光地として一躍有名になった。その後は[[ポプリ]]などを中心にラベンダーの加工を始め、[[1980年代]]前半よりエッセンシャルオイルの抽出に成功して香水「フロム」を発売する。また、「ポプリの舎」を開設し、化粧品製造業の免許を取得、オリジナルのラベンダー香水である「FURANO(フラノ)」を発売した。[[1987年]]には[[石鹸]]の製造業免許を取得し、「ソープラベンダー」という名のオリジナル石鹸を発売するなどした。この頃にそれまで経営を繋ぐために行っていた[[稲作]]を中止し、花の栽培や加工を経営の中核とした。