「ドイツ陸軍」の版間の差分

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== 大戦初期 ==
=== ポーランド戦 ===
初戦である[[ポーランド侵攻]]では、電撃戦による圧倒的な攻勢を見せ、'''『東欧の大国』'''[[ポーランド]]を僅か27日で降伏に至らしめた。 また当時世界最強と謳われていた[[騎兵]][[旅団]]「[[ポモルスカ]]」を全滅させ、[[第一次世界大戦]]についで、戦車の力を世界に知らしめた。
 
=== フランス戦 ===
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=== イギリス・バルカン半島 ===
フランス降伏後、ドイツはイギリス本土上陸を計画したが、[[ドイツ空軍|空軍]]によるイギリス本土攻撃([[バトル・オブ・ブリテン]])が失敗したため果たせなかった。まだその帰趨も明らかでなかった8月のうちに、スペインに領内通過を求めて英領[[ジブラルタル]]を攻略する計画も起草されたが、[[スペイン]]の同意を得られず同年末までに立ち消えとなった。しかしそれらすべてと並行して、ヒトラーは同年7月末からソ連侵攻計画([[バルバロッサ作戦]])の検討も命じていた。
 
しかし[[イタリア王国|イタリア]]軍の[[ギリシャ]]での敗退により、[[1941年]]春、ドイツ軍は[[バルカン半島]]制圧に向かった。バルカン半島での戦闘は僅か3週間で決着が付いたが、バルカン侵攻はヒトラーにとって戦略上の大誤算であり、その後の対ソ連戦略に大きな影を落とした。
 
[[1940年]]8月から10月までに編成された歩兵師団群は、あらゆる任務に適するドイツ歩兵師団としては事実上最後のものとなった。1941年以降に編成された歩兵師団はフランス沿岸などの防衛用に戦力を削られたもので、それ以前に編成された師団を一つでも多く前線に送り出す交代用の師団か、壊滅した師団の兵員を中核とする再建師団であったから、ドイツの動員力はこのころひとつの限界に突き当たったと言えよう。戦時経済もこのころを境に、総力戦体制へと最後の傾斜を始める。
 
=== ロシア侵攻 バルバロッサ作戦 ===
1941年の6月にドイツは、当初の予定から1ヵ月遅れて対ソ連侵攻作戦'''『[[バルバロッサ作戦]]』'''を開始する。ソビエトは当時のドイツ戦車を圧倒できる[[T-34]]戦車や[[KV-I]]重戦車をすでに保有していたが、組織・運用面の問題が開戦で一気に露呈し、ドイツに序戦の快進撃を許した。
 
しかし広大なソビエトに散在する戦略目標群はドイツ首脳部を迷わせ、秋の雨がもたらす泥、そして[[冬将軍]]がドイツ軍の足を止めるまでに、ドイツは[[モスクワ]]と[[レニングラード]]のいずれも奪取することができなかった。
 
[[1942年]]、ソビエトの春季攻勢が挫折すると、ドイツは南方で急進撃し、[[スターリングラード]]を攻撃するとともに[[コーカサス]]方面に戦線を広げた。しかし延び切った戦線を支えるだけの兵力はすでになく、旧式装備の[[ルーマニア]]軍が強襲を受け、ドイツは第6軍を中心とする30万人の兵士を包囲され、失った。
 
=== イタリアの敗北 北アフリカ戦 ===
少し時間を遡って1941年2月12日、<!-- 勝手に -->エジプトに侵攻し大規模な敗北を迎えたイタリア軍の救援のため、[[エルヴィン・ロンメル]][[中将]]を指揮官としたとした[[ドイツアフリカ軍団]]を[[リビア]]に送った。ロンメルは怒涛の進撃で戦線を押し戻していった。その後[[イギリス軍]]は圧倒的物量で敵を押しつぶす『[[バトルアックス作戦]]』および『[[クルセーダー作戦]]』を実行し物量に劣るドイツ・イタリア軍を押し戻していく。
連合軍は[[暗号]]解読の努力を[[地中海]]に集中し、海路の補給を妨害するとともに、豊富な補給で巻き返しを図った。1942年の[[エル・アラメインの戦い|エル・アラメイン戦]]を境に、ドイツ軍はここでも退潮を迎えた。
 
== 大戦中期 ==