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==『暁に祈る』事件==
[[ソビエト連邦|ソ連]]軍による[[シベリア抑留]]の収容先である[[外モンゴル]]・[[ウランバートル]]収容所において、ソ連軍から日本人捕虜の隊長に任じられた池田重善元曹長(収容所内では「吉村久佳元曹長」の変名を名乗っていた)が、労働のノルマを果たせなかった隊員にリンチを加え、多数の隊員を死亡させていたとされる事件。この『暁に祈る』とは、そこで加えられた、裸で一晩中木に縛り付けられるリンチに対して隊員らによって付けられた名で、『暁に祈る』の歌詞にある飲まず食わずのまま夜明けを待つといった部分と、縛り付けられて瀕死状態の隊員が明け方になるころ首がうなだれ、「暁に祈る」ように見えたことによるものと思われる。
 
この事件は{{和暦|1949}}3月に[[朝日新聞によっ]]がスクープとし報道さ掲載したことがきっかけで知らることになり元隊員は報道直後に「吉村らが隊長」こと池田元曹長を告発する。池田は4月に[[国会]]に[[証人喚問]]された。7月に池田は[[1949年東京地方検察庁|東京地検]]([[昭和24年]])3月告発任意出頭して逮捕、起訴された。元捕虜の証言などにより吉村池田は有罪(懲役3年)となったが、亡くなる[[1988年]]([[昭和63年]])まで無罪を主張していた。弁護士やジャーナリストの手で再調査が行われるこ、「無実の可能性が高い」になってたが、う結果をとりまとめて[[調査審]]請求を行う予定だったが、とりまとめを予定していた年に吉村池田が死亡し、かなわなかった。
 
池田はまた、事件を最初にスクープした朝日新聞の報道に関しても(明確な告訴等は行わなかったが)、著書『活字の私刑台』(1986年、青峰社)の中で[[報道被害]]であることを強く主張している。
 
==注釈==