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砂や石や鉄を喰らい、超能力を持ち、性格は勇敢で忍耐強く、黄帝の座を奪うという野望を持っていた。同じ姿をした兄弟が80人くらいいたという。戦争にあっては、[[神農氏]]の時、乱を起こし、兄弟の他に無数の[[魑魅魍魎]]を味方にし、風、雨、煙、霧などを巻き起こして黄帝と[[タク鹿県|涿鹿]]の野に戦った([[タク鹿の戦い|涿鹿の戦い]])。濃霧を起こして敵を苦しめたが、黄帝は[[指南車]]を使って方位を示し、遂にこれを捕え殺したといわれている。
 
この時、他に蚩尤に味方したのは勇敢で戦の上手い'''九黎族'''([[ミャオ族]]の祖先といわれる。)、巨体の'''夸父族'''だった。最後に捕らえられた蚩尤は、諸悪の根源として殺されたが、このとき逃げられるのを恐れて、手枷と足枷を外さず、息絶えてからようやく外された。身体から滴り落ちた鮮血で赤く染まった枷は、その後「[[フウ|楓(フウ)]]」となり、毎年秋になると赤く染まるのは、蚩尤の血に染められた恨みが宿っているからだという。[[赤旗]]を「蚩尤旗」と言い、劉邦がこれを軍旗に採用したとされる
 
戦いは終わり、九黎族は逃れて三苗族となった。黄帝は敵討ちを心配して三苗を皆殺しにしたが、この南方の民を根絶やしにできず、その後、苗族は歴代の王を執拗に悩ます手強い敵となった。