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'''ソールズベリー侯'''
ソールズベリー卿の従属称号は以下の通り。
* ソールズベリー伯
* クランボーン子爵
* セシル・オブ・エッセンドン男爵
上記のうち、ソールズベリー侯の後継者が用いる[[儀礼称号]]は「クランボーン子爵」である。
ソールズベリー伯の称号には複雑な歴史がある。この称号は12世紀の半ばに[[ヘンリー2世 (イングランド王)|ヘンリー2世]]の庶子である[[パトリック・オブ・ソールズベリー (初代ソールズベリー伯)|パトリック・ドゥ・ソールズベリー]]のために創設された。この称号は代々継承され、5代目の[[アリス・プランタジネット (第5代ソールズベリー女伯
[[1337年]]、無効になっていた爵位は、国王[[エドワード3世 (イングランド王)|エドワード3世]]の寵臣でスコットランドとの戦闘で功のあった[[ウィリアム・モンタキュート (初代ソールズベリー伯)|ウィリアム・モンタキュート]]のために再創設された。この爵位は後にモンタキュート家と姻戚関係を結んだネヴィル家に引き継がれ、[[リチャード・ネヴィル (第16代ウォリック伯)|リチャード・ネヴィル]]が継承する。だがこの時期イングランド国内で[[薔薇戦争]]が勃発し、1471年にリチャード・ネヴィルが戦死すると、その爵位・所領は敵方である[[ヨーク朝|ヨーク家]]に没収される。
ヨーク
クラレンス公の跡を継いでソールズベリー伯を継承したのは、グロスター公リチャードの息子の[[エドワード・オブ・ミドルハム]]である。彼は父グロスター公が即位したので、後に[[プリンス・オブ・ウェールズ]]になる
その後、ソールズベリー伯爵位は[[ジェームズ1世 (イングランド王)|ジェームズ1世]]の近習だった[[ロバート・セシル (初代ソールズベリー伯)|ロバート・セシル]]に叙爵された。それ以降、彼の血統がソールズベリー侯を継承している。
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* [[トマス・モンタキュート (第4代ソールズベリー伯)]] ([[1388年]]-[[1428年]]) (復帰 [[1421年]])
* [[リチャード・ネヴィル (第5代ソールズベリー伯)]] ([[1400年]]-[[1460年]])
* [[リチャード・ネヴィル (第16代ウォリック伯)|リチャード・ネヴィル (第6代ソールズベリー伯)]] ([[1428年]]-[[1471年]]) ([[1471年]] 爵位停止)
==ソールズベリー伯 第3期 ([[1472年]])==
* [[ジョージ・プランタジネット (クラレンス公
==ソールズベリー伯 第4期 ([[1478年]])==
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