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大会直前になって選手村に到着した。</ref>、エントリー・選手村への到着・競技への出場のすべてにおいて張が劉よりも先んじる形となり、「張が中華民族で最初のオリンピック参加者である」との主張も見られる<ref>蘇嘉祥『運動巨人─張星賢,第一位参加奥運的台湾人』聯經出版社(台湾)、2008年</ref>。オリンピックでは[[400m走|400m]]・[[400メートルハードル|400mハードル]]に出場したが、いずれも予選落ちであった。
 
1933年には[[関東学生陸上競技対校選手権大会]]の400mで優勝(50秒0)このほかにも多くの大会で好記録を残した。早稲田大学卒業後、[[南満州鉄道]]に就職。1936年のベルリンオリンピックでは[[1600mリレー走|4x400mリレー]]のメンバーとして出場したが、このときも予選落ちとなった。
 
第二次大戦後の1946年に台湾に戻った後は、スポーツ振興に長く携わった。1948年、[[合作金庫銀行]]に勤務していたときには、同社の野球チームの結成にかかわっている。同年[[台湾省]]の陸上競技協会の会長に就任した。