「ウィリアム・アイリッシュ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
11行目:
[[1934年]]から[[推理小説]]の短編をパルプマガジン向けに書き始め、しだいにその数を増やしていった。[[1940年]]の『黒衣の花嫁』から長編も書くようになり、サスペンス小説作家として地位を高めていった。
 
1940年代後半から母が重病となり、出版される小説はしだいに減っていった。[[1957年]]には母が死に、元々厭人的であった性格がさらにひどくなった。その後[[糖尿病]]や[[アルコール依存症|アルコール中毒]]に苦しめられ、糖尿病により壊疽した足などは医者に見せたときには既に手遅れで、切断するしかない状態であった。1968年に死亡するが、遺族はおらず、葬儀への参列者は5人だけだった。また死亡時、彼の体重は89ポンド(40kg)であった。
 
在籍していたコロンビア大学に作家育成の奨学金として百万ドルを寄贈している。