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'''張 星賢'''(ちょう せいけん、[[1910年]][[6月2日]] - 没年不明)は、[[台湾]]出身の[[陸上競技]]選手([[短距離走]])。台湾が日本の統治下に置かれていた時代に、日本の代表として[[1932年]]の[[ロサンゼルスオリンピック (1932年)|ロサンゼルスオリンピック]]と[[1936年]]の[[ベルリンオリンピック]]に参加した。
 
[[台中県]]の[[龍井郷|龍井]]出身。[[早稲田大学]]に進学し、[[早稲田大学競]]に所属した。
 
1932年のロサンゼルスオリンピックの代表に選出される。このとき、[[中華民国の歴史|中華民国]]では同じ陸上競技で[[劉長春]]が初のオリンピック代表として参加したが<ref>劉を[[満州国]]のオリンピック代表候補とする動きに劉や中国国内からの反発が生じ、不参加の予定を変更して参加申請を行ったため、大会直前になって選手村に到着した。</ref>、エントリー・選手村への到着・競技への出場のすべてにおいて張が劉よりも先んじる形となり、「張が中国人で最初のオリンピック参加者である」との主張も見られる<ref>蘇嘉祥『運動巨人─張星賢,第一位参加奥運的台湾人』聯經出版社(台湾)、2008年</ref>。オリンピックでは[[400m走|400m]]・[[400メートルハードル|400mハードル]]に出場したが、いずれも予選落ちであった。