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===入蜀===
[[霊帝 (漢)|霊帝]]の時代、[[黄巾の乱]]の影響で[[刺史]]の支配力が弱くなっているので、[[州牧]]を置くことを提案した。また、劉焉は中央の混乱を避けたいと考え、自ら願い出て[[益州]]の牧となり、漢監軍使者を兼務し、陽城侯に封ぜられた。劉焉が益州に赴任するとき、[[董扶]]や[[趙イ|趙韙]]も官職を辞して劉焉に随行した。
この頃、後漢の衰退に乗じて馬相ら黄巾を号する賊徒が反乱を起こし、[[綿竹]]県令の李升を殺害し、さらに雒城を陥落させ、益州刺史の[[郤倹]]([[郤正]]の祖父)を討ち取り、さらに蜀郡・犍為・広漢の三[[郡]]を蹂躙した。しかし、益州従事の[[賈龍]]は千余人の兵を率いて、この反乱を鎮圧した。
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