「ホーネット (CV-12)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
TXiKiBoT (会話 | 投稿記録)
m ロボットによる 追加: it:USS Hornet (CV-12)
編集の要約なし
1行目:
{| class="wikitable" style="clear:right; float:right; margin: 0em 0em 1em 1em; width: 300px; background:#ffffff"
<div class="thumb tright">
{| class="wikitable" style="margin: 0em; width: 300px; background:#ffffff"
|align="center" colspan="2"|[[image:Uss hornet cvs-12.jpg|300px|USS Hornet(CV-12)]]
|-
25 ⟶ 24行目:
!colspan="2" style="background: #f0f0f0"|性能諸元
|-
| style="white-space:nowrap;" |[[排水量]]
| 27,100 [[トン]]
|-
|全長
44 ⟶ 43行目:
|-
|最大速
| 33 [[ノット]]
|-
|航続距離
65 ⟶ 64行目:
|-
|}
'''ホーネット''' ('''USS Hornet, CV/CVA/CVS-12''') は、[[アメリカ海軍]]の[[航空母艦]]。[[エセックス級航空母艦]]の4番艦。「The Grey Ghost」の愛称で呼ばれた。[[アメリカ海軍]]において[[ホーネット]]の名を受け継いだ艦としては8隻目にあたる。
</div>
'''ホーネット'''('''USS Hornet, CV/CVA/CVS-12''')は、[[アメリカ海軍]]の[[航空母艦]]。[[エセックス級航空母艦]]の4番艦。「The Grey Ghost」の愛称で呼ばれた。[[アメリカ海軍]]において[[ホーネット]]の名を受け継いだ艦としては八隻目にあたる。
 
==艦歴==
ホーネットは当初「キアサージ」という艦名で[[1940年]]9月9日に建造契約が行われた。[[1942年]]8月3日に[[バージニア州]][[ニューポートニューズ]]の[[ニューポート・ニューズ造船所]]で起工する。[[1942年]]10月26日に[[ホーネット (CV-8)|ホーネット]] (''USS Hornet, CV-8'') が[[南太平洋海戦]]で沈められ、キアサージはホーネットと改名された。[[1943年]]8月30日に進水し、1943年11月29日に初代艦長マイルズ・M・ブラウニング大佐の指揮下就役した。
 
=== 第二次世界大戦 ===
ホーネットは[[ノーフォーク (バージニア州)|ノーフォーク]]を出航後[[バミューダ]]での整調航海を行い、1944年2月14日に[[マジュロ環礁]]で第20[[空母機動部隊]]に加わった。[[ニューギニア]]侵攻戦の航空支援を行った後、[[カロリン諸島]]の日本軍基地への大規模な航空攻撃をこない、その後[[マリアナ諸島]]攻略への準備を行う。
 
89 ⟶ 88行目:
台風の被害後、ホーネットは[[フィリピン]]経由で[[サンフランシスコ]]に帰還し、1945年7月7日に到着した。オーバーホールは1945年9月13日に完了し、復員兵輸送の[[マジック・カーペット作戦]]に参加のためマリアナ諸島と[[ハワイ]]に向けて出航した。ホーネットはサンフランシスコに1946年2月9日に帰港、1947年1月15日に退役し太平洋予備役艦隊入りする、
 
=== 戦後 ===
ホーネットは[[1951年]]3月20日に再就役し、[[ニューヨーク海軍造船所]]へ向けてサンフランシスコを出港、1951年5月12日に解役され攻撃航空母艦(CVA-12)へ艦種変更される。[[ジェット機]]に対応するために改装工事を受け、[[1953年]][[9月11日]]にホーネットは攻撃空母として再就役した。ホーネットはカリブ海で訓練を行うため[[ノーフォーク (バージニア州)|ノーフォーク]]を[[1954年]]5月11日に出港、8ヶ月間の航海に入る。
 
[[地中海]]と[[インド洋]]での作戦行動の後、ホーネットは[[南シナ海]]で[[第7艦隊 (アメリカ軍)|第七艦隊]]に加わり1954年7月22日に発生した[[キャセイ・パシフィック航空機撃墜事件]]の生存者捜索を行った。7月25日、ホーネットの艦載機は[[フィリピン・シー (空母)|フィリピン・シー]] (''USS Philippine Sea, CVA-47'') の艦載機と共に、[[中国人民解放軍]]の戦闘機二機を撃墜している。緊張緩和の後、ホーネットは1954年12月12日にサンフランシスコに帰還、[[サンディエゴ]]で訓練を行った後、[[1955年]]5月4日に出港し極東で再び第七艦隊に加わる。
 
ホーネットは共産主義者に支配された[[北ベトナム]]から自由を求めて[[南ベトナム]]に避難する人々を支援し、第七艦隊と共に訓練を行った。[[1955年]]12月10日にサンディエゴに帰港し、翌月[[ピュージェット・サウンド海軍工廠]]に入り、ハリケーン・バウ化、同時発着艦を可能とする[[アングルド・デッキ]]追加などの改修を行った。