「インディアナポリス・フージャーズ」の版間の差分

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==球団史==
チーム名の「フージャー」(Hoosier)はインディアナの出身者及びインディアナを表す。この球団は[[セントルイス・マルーンズ]]が[[1886年]]シーズン後に破綻した際、そのフランチャイズ権が後の[[シンシナティ・レッズ]]や[[ニューヨーク・ジャイアンツ]]のオーナーとなる[[ジョン・T・ブラッシュ]]によって買い取られ、マルーンズ所属選手の多数を受け入れる形で本拠地をインディアナポリスに移して設立された球団である。
[[1886年]]シーズン後に破綻した[[セントルイス・マルーンズ]]の選手の多数を受け入れる形で、1887年からナショナルリーグに参加した。チーム名の「フージャー」(Hoosier)はインディアナの出身者及びインディアナの住民の意味である。加入1年目エースだったエジプシャン・ヒーリーがリーグ最多の敗戦と被本塁打を記録するなど投手力が弱く最下位に終わる。2年目以降は少しずつ盛り返し、3年目の1889年には後の豪腕投手として知られる[[エイモス・ルーシー]]が入団、12勝10敗の成績を収めた。また攻撃の中心だったジャック・グラスコックは同じ年に205本のリーグ最多安打を記録、8月8日の試合では[[サイクル安打]]を達成するなどの活躍をした。しかし上位に進出することはできず、3年の活動の後チームは解散した。
 
[[18861887]]シーズン後破綻した[[セントルイス・マルーンズ]]の選手の多数を受け入れる形で、1887年からナショナルリーグにした。チーム名の「フージャー」(Hoosier)はインディアナの出身者及びインディアナの住民の意味である。が、加入1年目エースだったエジプシャン・ヒーリーがリーグ最多の敗戦と被本塁打を記録するなど投手力が弱く最下位に終わる。2年目以降は少しずつ盛り返し、3年目の1889年には後の豪腕投手として知られる[[エイモス・ルーシー]]が入団、12勝10敗の成績を収めた。また攻撃の中心だった[[ジャック・グラスコック]]は同じ年に205本のリーグ最多安打を記録、8月8日の試合では[[サイクル安打]]を達成するなどの活躍をした。しかし上位に進出することはできず、3年の活動の後チームは解散した。
 
==戦績==