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'''ブレット・バトラー'''('''Brett Morgan Butler''' , [[1957年]][[6月15日]] - )は[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[メジャーリーグベースボール|メジャーリーグ]]で活躍した元野球選手。[[外野手]](主に[[中堅手]])。左投左打。[[アメリカ合衆国]][[カリフォルニア州]][[ロサンゼルス]]出身
[[外野手]](主に[[中堅手]])。左投左打。[[アメリカ合衆国]][[カリフォルニア州]][[ロサンゼルス]]出身。
 
== 人物・来歴 ==
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マイナーリーグを経て[[1981年]][[8月20日]]にメジャーデビューを果たす。
名前が映画「[[風と共に去りぬ]](Gone With Wind)」の登場人物「レット・バトラー (Rhett Butler) 」と似ていて、しかも映画の舞台[[アトランタ]]でデビューしたことでも話題になった。
 
[[1983年]]にレギュラーとなり、151試合に出場して打率.281、39盗塁と一番打者として活躍。しかしその年限りで[[クリーブランド・インディアンス]]に移籍。4年間[[アメリカンリーグ|ア・リーグ]]でプレーし、ンディアンスでも一番打者として活躍。[[1984年]][[5月15日]]の[[ボストン・レッドソックス]]戦では、メジャー初登板した[[ロジャー・クレメンス]]の最初の対戦打者となり、一塁ゴロに打ち取られている。
インディアンスでも一番打者として活躍する。[[1987年]]オフに[[フリーエージェント (プロスポーツ)|フリーエージェント]](FA)で[[サンフランシスコ・ジャイアンツ]]に移籍し、[[1989年]]にはチームがリーグ優勝し、[[ワールドシリーズ]]出場を果たす([[オークランド・アスレチックス]]に0勝4敗で敗れる)。
 
インディアンスでも一番打者として活躍する。[[1987年]]オフに[[フリーエージェント (プロスポーツ)|フリーエージェント]](FA)で[[サンフランシスコ・ジャイアンツ]]に移籍し、[[1989年]]にはチームがリーグ優勝し、[[ワールドシリーズ]]出場を果たす([[オークランド・アスレチックス]]に0勝4敗で敗れる)。
 
[[1991年]]に、念願であった故郷の[[ロサンゼルス・ドジャース]]に移籍。
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[[1995年]]にはFAで[[ニューヨーク・メッツ]]に移籍するが、同年[[8月20日]]に2選手との交換でドジャースに再移籍。
 
[[1996年]]5月に、扁桃腺ガンを告知され、手術。しかし、病気を克服して9月には感動的な復帰を果たし、チームの地区優勝にも貢献した。40歳となった翌[[1997年]]限りで現役を引退
40歳となった翌[[1997年]]限りで現役を引退。
 
敬虔な[[キリスト教徒|クリスチャン]]、[[純潔運動|純潔運動家]]、[[プロライフ]]運動家としても知られている。現在は妻のエヴィリンと4人の子供達と共に[[アリゾナ州]][[フェニックス (アリゾナ州)|フェニックス]]で暮らし、[[アリゾナ・ダイヤモンドバックス]]傘下のマイナーチームでコーチや監督を務めている。
現在は妻のエヴィリンと4人の子供達と共に[[アリゾナ州]][[フェニックス (アリゾナ州)|フェニックス]]で暮らし、[[アリゾナ・ダイヤモンドバックス]]傘下のマイナーチームでコーチを務める。
 
==受賞歴・記録==