「豊予海峡」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
OiOiO (会話 | 投稿記録)
名の由来
OiOiO (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
7行目:
[[豊後水道]]の中で[[水路]]が最も狭い部分にあたる。海峡幅は約14km、最大水深は約195m。[[日本]]最大の[[断層]]である[[中央構造線]]が走る。[[佐賀関港]]と[[三崎港 (愛媛県)|三崎港]]の間に、[[国道九四フェリー]]([[国道197号]])が運航されている。
 
豊予海峡は好漁場として知られており、潮流が速いことから、獲れる魚は身が引き締まり脂がのっており、市場での評価が高い。特に、佐賀関港に水揚げされる[[アジ]]と[[サバ]]は、魚本来自体の品質の高さに、魚を傷めない一本釣りの漁法や面買い、活けじめによる鮮度保持、厳格な品質管理が相まって「'''[[関あじ]]'''」、「'''[[関さば]]'''」として全国的に有名な高級魚の[[ブランド]]となっている。なお、同じものが三崎側で水揚げされるとたアジやサバは「'''岬あじ'''」(はなあじ)、「'''岬さば'''」と呼ばれ、より安価で取引される。
 
== 歴史 ==
『[[古事記]]』や『[[日本書紀]]』においては、[[神武天皇]]が[[神武東征|東征]]の途上で'''速吸門'''(はやすいのと)を通ったときに、[[天津神・国津神|国つ神]]の[[椎根津彦]]が現れて航路を案内したとの記載があり、この速吸門が豊予海峡のことであると考えられている。ただし、『日本書紀』では経路に地理的整合性があるものの、『古事記』では九州を出て[[吉備国]]の高島宮に滞在した後に速吸門を通ったとされており、整合性を欠く。[[佐賀関]]には椎根津彦をまつる椎根津彦神社が残っている。
 
== 太平洋新国土軸豊予海峡ルート ==