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[[Image:Great Patriotic War 1941-1945.jpg|right|thumb|300px|2005年、[[モスクワ]]の[[クレムリン]]にて撮影。大祖国戦争戦勝60周年を祝う飾り]]
'''大祖国戦争'''(だいそこくせんそう、{{lang-ru|Великая Отечественная война}}, {{lang-uk|Велика Вітчизняна війна}}, {{lang-en|Great Patriotic War}})は[[ロシア]]をはじめとする旧[[ソビエト連邦]]諸国のいくつかで使われる用語。[[第二次世界大戦]]のうち、ソビエト連邦が[[ナチス・ドイツ]]およびその同盟国と戦った[[1941年]][[6月22日]]から[[1945年]][[5月9日]]までの戦いを指す。旧ソ連諸国の外では、この用語は一般的に使われることはなく、「'''[[東部戦線]]'''(Eastern Front)」「'''[[独ソ戦]]'''」などの用語が使われている。
 
「大祖国戦争」と「第二次世界大戦」とでは指す範囲が異なっている。「大祖国戦争」は、ドイツをはじめとするヨーロッパの枢軸国諸国軍とソビエト連邦との間の戦いであり、ソビエト連邦と日本との戦い([[太平洋戦争]]、[[ソ連対日参戦|満州侵攻]])や、ドイツと西欧・英米諸国との戦い([[西部戦線 (第二次世界大戦)|西部戦線]])は含まれない。
 
「大祖国戦争」という用語は、1941年6月22日のドイツの対ソ攻撃([[バルバロッサ作戦]])開始の直後に登場した。[[1812年]]に[[ロシア帝国]]へ侵攻した[[フランス第一帝政|フランス帝国]]の[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン1世]]をロシアが打ち破った戦いは、ロシアでは「'''[[1812年ロシア戦役|祖国戦争]]'''」と称される。ソ連当局はこれをなぞらえた呼称でナチス・ドイツとの戦争を示すことで、戦いにあたって国民を鼓舞しようとした。ドイツ軍の侵攻直後の「[[プラウダ]]」紙には、「ソビエト人民の大祖国戦争」(Velikaya Otechestvennaya voyna sovetskogo naroda)と題された長い記事が掲載されている。[[1942年]][[5月20日]]には、大祖国戦争において英雄的な行為を見せた兵士やパルチザンらに対して贈られる「[[祖国戦争勲章]]」({{lang|ru|Орден Отечественной войны}}, Order of the Patriotic War)が制定された。
 
ソ連時代の[[辞書学]]においては、「大祖国戦争」とはソビエトの[[共産主義]]とドイツの[[ナチズム]]([[ファシズム]])という二つの[[イデオロギー]]の間の闘争であり、最終的にソビエトの共産主義システムがファシズムに打ち勝ってその優位性を示したとされる<ref>“[http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,1703919,00.html Genocide's Ghosts]”, ''TIME Magazine'', January 16, 2008.</ref>。