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[[新]]末に天下が騒乱状態になると、蔡茂は[[竇融]]と親交があったため、河西<ref>中国の北西部で、黄河が内陸を北東に流れる領域において、その西部。</ref>に拠っていた竇融の下に逃れた。竇融は蔡茂を張掖太守に任じようとしたが、蔡茂はこれを固辞し、俸給を受けて家を保つだけでよしとした。
後に竇融とともに[[光武帝]]に招聘され、再び議郎に任命され、さらに
[[建武 (漢)|建武]]20年([[44年]])4月に、[[司徒|大司徒]]戴渉が罪により獄死すると、同年6月に蔡茂はその後任として大司徒に就いた。在職中は、清廉にして怠ることなく職務に取組んだという。
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