「ミトラダテス2世」の版間の差分

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国内を安定させたミトラダテス2世は[[アルメニア]]方面への勢力拡大を企図し、アルメニア王[[アルタバスデス1世]]を攻撃して降伏させた。その際アルメニアの王子[[ティグラネス2世]]を人質とし、[[紀元前1世紀|紀元前95年]]にアルタバデスが死去するとティグラネス2世を帰国させてアルメニア王とし、ティグラネス2世の娘アリヤザデを妻として迎え入れてアルメニアと姻戚関係を結んだ。更に彼の治世から[[古代ローマ|ローマ]]との接触が本格化した。[[紀元前1世紀|紀元前92年]]、ローマの将軍[[スッラ]]との間で、ミトラダテス2世の部下との会談が持たれている。ただしこの時どのような話がなされたのかは知られていない。
 
ミトラダテス2世の治世末期には[[ゴタルゼス1世]]が「諸総督の総督」を名乗ってバビロニア地方を支配下にめるなどしているが、ミトラダテス2世とゴタルゼス1世の関係ははっきりしない。
 
ミトラダテス2世は「''諸王の王 偉大な アルサケス 善なる 神の化身 ギリシア愛好者''」など、'''諸王の王'''(バシレウス・バシレオン)を含む称号を用いたコインをいくつも残している。この称号を持って[[アケメネス朝]]を意識したものであるとする説も強いが、諸王の王というフレーズ自体はかつてのセレウコス朝の王達も用いており、また「ギリシア愛好者」を称号としたコインも多く残されている。そのため、単純にアケメネス朝のみを意識した称号であるとはいえないとする説もある。