「小沢武雄」の版間の差分

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==経歴==
[[小倉藩]]士・小沢義房の長男として生まれる。[[1866年]]、第二次[[長州征伐]]において軍議役兼陣場奉行を勤める。[[1868年]]、[[戊辰戦争]]に出征し[[越後]]・[[会津]]へ転戦した。[[明治政府]]の若松民生局に出仕し、[[軍務官]]筆生、[[兵部省|兵部]]少録、兵部権大録、兵部大録、兵部権少丞、[[兵部省]]7等出仕を経て、[[1871年]]、[[陸軍少佐]]に任官。第二[[副官]]、[[陸軍省]][[官房長]]、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]出張、陸軍省第1局長代理などを歴任。[[1877年]]2月から10月まで[[西南戦争]]に征討総督本営[[参謀]]として出征。
 
[[1878年]]11月、[[陸軍少将]]に進級。陸軍省第3局長、同第1局長、同総務局長、兼[[陸軍士官学校 (日本)|陸軍士官学校]]長、陸軍[[少輔]]などを経て、[[1885年]]5月、[[陸軍中将]]となった。陸士校長、[[参謀本部 (日本)|参謀本部]]次長、陸軍参謀本部長、欧州出張などを経て、[[1890年]]10月、[[予備役]]に編入され、[[1891年]]12月17日、舌禍事件により[[諭旨]]免官となった。