「軍務官」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
明治政府初期の軍事組織。
 
linkち。参考文献と関連項目から作成(記載漏れ)
6行目:
明治元年2月3日(1868年2月25日)、三職七科を改めて三職八局とし、海陸軍科は軍防事務局となり、[[小松宮彰仁親王]]が軍防事務局督に就任し、その下に輔と判事をおいた。
 
明治元年閏4月21日(1868年6月11日)、三職八局の体制を[[太政官]]七官とし、新たに軍務官が置かれ、郷兵・招募・守衛・軍備の事項を担当した。軍務官の長の知事には小松宮彰仁親王が就任した。組織としては、海軍局・陸軍局の二局と、築造司・兵船司・兵器司・馬政司の四司が置かれた。海軍局には一等から三等の海軍将が、陸軍局にも同様な陸軍将の官職が置かれ、これらは兵部省となってから[[大将]][[中将]][[少将]]と改称された。
 
明治2年7月8日(1869年8月15日)、官制が大改正され新たに2官6省が置かれ、軍務官は兵部省に再編された。