「キング・タビー」の版間の差分

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==1960年代==
結局、1960年代に入ると、彼は自らサウンド・システム「ホームタウン・ハイファイTubby's Hometown Hi-Fi」を運営するようになる。[[デューク・リード]]と[[コクソン・ドッド]]の2つのサウンドシステムに人気が集中していた当時、すでに彼は自身のサウンド・システムでエコーやリバーブの効果をつけていたが、この時点ではまだ実験的なお遊びであった。
 
1968年、キング・タビーはプロデューサーのデューク・リードの元で、原盤のカッティング技師として働きはじめる。ライバルのコクソン・ドッドと並んで初期のジャマイカ音楽の重要なひとりと称されるデューク・リードは、ジャマイカで最初のレコーディングスタジオのひとつである[[トレジャー・アイル]]・スタジオの経営者であり、スカやロックステディ、レゲエの主要なプロデューサーである。