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党錮が解かれると高官たちは荀爽を争って辟召しようとした。[[司空]]の[[袁逢]]により有道に挙げられたが、荀爽は応じなかった。しかし後に袁逢が死去すると荀爽は3年の服喪に入った。このことで更に名声が高まり、[[大将軍]][[何進]]の従事中郎となり、更に[[侍中]]とされた。
 
何進が殺され、[[董卓]]により[[献帝 (漢)|献帝]]が擁立されると荀爽は董卓から離れたいと思ったが叶わず、平原郡の[[相]](次官)とされた。荀爽が任地へと向かう途中、[[光勲]]とされ、更に[[司空]]とされた。95日の間の出来事である。
 
司空になった荀爽は[[長安]]へと帰り、董卓の傍にいるようになった。しかし董卓を放置すれば後漢が危うくなると考えて[[王允]]・[[何顒]]と共に謀を練っていたが、病気のため死去した。享年63。
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[[Category:漢代の人物]]
[[Category:三国志の登場人物]]
[[Category:130年生]]