「ニケタス・コニアテス」の版間の差分

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[[フリュギア]]地方コーナイ(現在の[[トルコ]]西部)の[[貴族]]に生まれる。幼い頃に首都[[コンスタンティノポリス]]にいた兄・[[ミカエル・コニアテス]]([[神学者]])に育てられて学問を伝授される。後に兄ともども文人として知られるようになった。
 
ニケタスが[[フィリッポポリス]]知事をしていた時に[[第3回十字軍]]がビザンツ帝国を通過する。だが、皇帝[[イサキオス2世アンゲロス]]と[[神聖ローマ帝国]]皇帝[[フリードリヒ1世]]が対立し、怒ったフリードリヒがフィリッポポリスを襲撃したためニケタスはこれを防いだ。その後宮廷秘書官・大法官などの要職を歴任する。
 
[[1204年]]、[[第4回十字軍]]がコンスタンティノポリスを襲撃した際、ニケタスの命も危うかったが、懇意にしていた[[ベネチア共和国|ベネチア]]商人が彼を町の外に脱出させる。後に[[ニカイア]]に落ち着いて執筆活動に専念する。
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{{生没年|にけたす こにあてす|1150年|1213年}}
[[de:Niketas Choniates]]
[[en:Nicetas Choniates]]