「第六潜水艇」の版間の差分
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{{和暦|1910}}4月15日、[[第六潜水艇]]はガソリン潜航実験の訓練などを行うため[[岩国市|岩国]]を出航し、[[広島湾]]へ向かった。この訓練は、ガソリンエンジンの煙突を海面上に突き出して潜航運転するもので、原理としては現代の[[シュノーケル (潜水艦)|シュノーケル]]と同様であった。
午前10時ごろから訓練を開始、
この事故より先に[[イタリア海軍]]で似たような事故があった際、乗員が脱出用のハッチに折り重なったり、他人より先に脱出しようとして乱闘をしたまま死んでいる醜態を晒していたため、帝国海軍関係者も最初は醜態を晒していることを心配していた。ところが、実際にはほとんどの乗員は配置についたまま殉職、さらに[[佐久間勉|佐久間艇長]]は事故原因や潜水艦の将来、乗員遺族への配慮に関する遺書を認めていたため、これが「潜水艦乗組員かくあるべし」「沈勇」ということで、修身の教科書や軍歌として広く取り上げられたのみならず、海外などでも大いに喧伝された。特に[[イギリス海軍]]では教本になり、[[アメリカ合衆国議会議事堂]]には遺書の写しが陳列された
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*坂本金美『日本潜水艦戦史』図書出版社、1979年。
*「日本潜水艦史」『世界の艦船』1993年8月号増刊、海人社。
*飯島英一『第六潜水艇浮上せず
*TBSブリタニカ編集部編『佐久間艇長の遺書』 ティビーエス・ブリタニカ、 2001年。ISBN 4-484-01201-4
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*[http://homepage2.nifty.com/12kan/sakuma.htm 佐久間艇長の遺言全文]
*[http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/4685_9480.html 文芸とヒロイツク]
[[Category:日本の潜水艦|タ6]]
[[Category:海難事故|たいろくせんすいてい]]
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