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脚注
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[[近世]]初期には[[長吏]]頭・[[弾左衛門]]の支配下にあった。しかし歌舞伎関係者は自分たちの人気を背景に弾左衛門支配からの脱却をめざした。[[宝永]]5年(1708年)に弾左衛門との間で争われた[[訴訟]]をきっかけに、ついに「独立」をはたす。江戸歌舞伎を代表する市川團十郎家は、このことを記念する『勝扇子(かちおうぎ)』という書物を家宝として伝承していた。またこの訴訟は、歌舞伎十八番の一つ『助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)』成立の契機となったという有力な説もある。しかし、歌舞伎役者は行政的には依然差別的に扱われた。彼らは天保の改革時には、差別的な理由で浅草猿若町に集住を命ぜられ、市中を歩く際には笠をかぶらなくてはならないなどといった規制も受けた。歌舞伎が法的に被差別の立場から解放されるのは、結局[[明治維新]]後のことだった<ref>
[http://www.asahi-net.or.jp/~mg5s-hsgw/tkburaku/history/danzaemon03.html 弾左衛門は歌舞伎を江戸中期まで支配した(東京の被差別部落)]</ref>
 
== 解説 ==