「マーク・メシエ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
TobeBot (会話 | 投稿記録)
m ロボットによる 追加: cs:Mark Messier
10行目:
メシエのレギュラーシーズンのポイント数1,887(694ゴール、1,193アシスト)は2005年の引退時においてNHL歴代2位であるが、それにもましてプレイオフにおける勝負強さが高く評価されることが多い。例えば、1984年の[[スタンレー・カップ]]決勝では、強豪[[ニューヨーク・アイランダーズ]]を追走する[[エドモントン・オイラーズ]]を率い、敵チームのディフェンスを1対1でかわすと相手ゴーリーを至近距離からの巧妙なリストショットで翻弄しゴールを上げた。そして、このシリーズが終わってみると、プレイオフ最優秀選手賞(コーン・スマイス賞)を獲得したのは、同僚[[ウェイン・グレツキー]]でなく、メシエであった。
 
メシエはそれまでもスーパースターの地位を確立していたが、いわゆる「メシエ伝説」が誕生したのは、1994年の東部カンファランス決勝のことである。このシリーズで2勝3敗と窮地に立たされたメシエは、ニューヨークのメディアの前で、第6戦の勝利を公言してはばからなかった。そして、その言葉通り、メシエは2点のリを許していた第3ピリオドでハットトリックを演じ[[ニューヨーク・レンジャース]]を勝利に導いたのである。このシリーズを勝ち上がったレンジャースは創立54年目にして初のスタンレー・カップに優勝を果した。そしてカップ第7戦でもメシエは決勝点を決めたのである。
 
1994年のスタンレー・カップはマーク・メシエの現役時代後半の境目となった。1994-1995シーズンはロックアウトがあったが、メシエは53試合で64ポイントを上げた。1995-1996シーズン、既に35歳になろうとしていたが、彼が1991-1992シーズンにマークした100ポイント越えに迫る99ポイントをたたき出した。その翌シーズンでも84ポイントを上げて「ムース」健在を印象付けたメシエは、36歳になっていたにもかかわらず[[バンクーバー・カナックス]]から5年間で3千万ドルとも伝えられる破格の条件のオファーを受け、フリーエージェントで入団を決めた。