「タイロナ」の版間の差分

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しまあじ (会話 | 投稿記録)
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考古遺跡として残ったPueblitoの遺跡は、タイロナの「重要な街」である。Pueblitoは、3000軒ほどの家々が軒を連ね、そのほかには、宮殿や神殿として建てられたすばらしい建築物があった。「街」を通る大通りは、平石で舗装され、すべての集落が石敷きの道路で結ばれていた。「街」の中を流れる小川には、平石で造られた橋がかけられた。[[考古学]]的な調査ではひとつずつの家の丸い輪郭が土台のみの形で発見される。平石が円形に並べられ側面には造り出しのように並べられ、平石の端が平石に接するように順番に並べられる。それらの円形ないし環状の家には対称的な位置に出入口が設けられている。出入口は、平石を並べてわかるようになっている。調理用の[[土器]]や斧や石のすり皿、石棒などの道具は家屋の床面から発見される。
 
また、しばしばそれらの家は、低い基壇の上に基礎をもって建てられているか、丘陵のわきをテラス状にして建てられている。直径20mほどの家もある。このような家屋の内部には火を使用した痕跡が見られる。壁と屋根は木を用いるか茅葺であったと思われる。壁は粘土と小石を混ぜ込んでつくられ、表面には水で[[石灰]]を溶かして塗っていた。神殿や特別な建物は、平石の基壇の上に木造で建てられていたのは一般の家屋と同じであったが、通常より高い基壇の上に建てられ、石造りの階段がつけられ、一般の家屋より大きな建物であった。男たちや若者が集会を行なったり、学識ゆたかな賢者がおとづれるのを迎える建物や神聖な儀礼を行なう建物も同じように大きく造られた。木も生えないような高地の家を捨てて下ってくる人々が街をおとづれて、神々の言葉を伝えたり、若者たちにタイロナの国家の伝統を教えたりしたといわれている。
 
タイロナの人々は、自分たちの住む「町」をより大きくすることを計画し、建設活動に用いる木材の切り出しを組織的に行い、雨水が効率的にあつめる[[運河]]や貯水槽を造って都市と耕地に供給した。テラス農耕のシステムの遺構は、経年劣化によって亀裂が起こったり侵食されたりすることを防ぐよう設計されていた。